デカルトと浸透していく砂糖
「……ではこれにて作戦終了です」
「やっと終わった……蜂の巣駆除とかもうやりたくない」
「わ、私も……隠れてたのに見つけて追って来たから怖かった」
『お疲れ~いやあみんなボロボロだね!』
「モエ……ひとりだけオペレーターだからって無事なのは納得いかないぞ」
「そうですね。オオスズメバチで無かったのは救いですが、それでも我々は結構刺されています」
「怪我はしてないけど……あちこち赤くなっててかゆい……」
『も~そんなこと言われても仕方ないじゃん。お風呂の準備してるからさっさと帰ってきなよ』
「お風呂……!」
「早く帰ろう。あいつら服の下にまで入り込んできたから気持ち悪くて仕方ない」
「はい……RABBIT小隊、これより帰投します」
『あ、帰りにエンジェル24寄って来て。そろそろ廃棄弁当が出る時間だから』
SRTという後ろ盾を失ったRABBIT小隊は、近隣住民から寄せられた苦情の処理をしていた。
食料はコンビニの廃棄弁当を処理するという建前で入手していたが、日用品や弾丸などの消耗品は確実に必要になる。
今回の蜂の巣駆除も、日銭を稼ぐためのアルバイトのようなものだ。
SRTとして特殊訓練を受けた彼女たちであれば、手っ取り早く活躍できる案件というものは意外とある。
当初子ウサギ公園に住み着いた不審者として白い目で見られていたRABBIT小隊だったが、SRTの理念や正義に反しない範囲で便利屋に近い仕事をしていたことで、段々と受け入れられるようになっていったのだ。
「ぐぐぐ……またしても、してやられたということですか」
だがそんな彼女たちを受け入れないものも存在する。
「認めません。この恨みは忘れませんからね!」
それこそ物陰に隠れて見つめる男……デカルトだった。
『所有せずとも確かな幸せを探す集い』——通称『所確幸』のリーダーである。
働きもせずに日々を過ごすろくでなしだが、自身の権利を脅かされれば戦う気概のある男でもある。
カイザーグループに拉致され思想を矯正されてしまい、一時治安維持で働いていたこともあったが、今ではこの通りのホームレスに逆戻りしていた。
助けてくれたことに恩を感じないわけではないが、そこはそれ、食べ物の恨みは忘れない質でもある。
「私の焼肉弁当を……!」
デカルトのではない。
そもそも廃棄弁当を適切に処理せず勝手に食べている時点で、RABBIT小隊共々褒められた行いではない。
成り立ちからして所確幸のメンバーは数だけはいるものの、強力な組織ではないのだ。
当然デカルトもリーダーをやっているとはいえ求心力のある人間ではない。
過去に敗北した経験からRABBIT小隊に敵わぬと理解しているが故に、こうして物陰から臍を嚙むばかりだった。
そしてそんな彼の姿を、見逃さない者もいる。
「やあやあ、誰かと思ったらデカルトさんじゃないか」
「む? 君たちは……?」
デカルトに声を掛けて来たのは、少女の2人組だった。
桃色の長い髪を風に靡かせている2人を見て、姉妹だろうかと首を傾げる。
どちらも見覚えは無い。
「確かに私はデカルトですが……人違いではないですかな? 君たちと会ったことは無いはずですが……」
「いやいや、そっちは覚えていなくても、おじさんは覚えているよ~。そして人違いでもない」
2人組のうちの奇妙な一人称の小柄な方、ホシノは間違いではないと首を振って、胸元の校章をデカルトに見せた。
「これ……見覚えあるよね?」
「それは、アビドスの……」
「そう、砂漠に呑まれたデカルトさんの家があった、あのアビドスだよ」
ホシノの言葉に、デカルトの脳内に忘れがたい苦い記憶が蘇った。
ホームレスになる前の話だ。
デカルトはかつてアビドスに住んでいた。
そこで普通に暮らしていたのだが、ある時強い砂嵐が襲って来た。
元から砂嵐が多い土地ではあったが、その時の勢いは凄まじく、周辺一帯を砂で覆いつくしてしまった。
一回だけならまだしも、断続的に繰り返し続く砂嵐に、一人また一人とアビドスを離れて行った。
けれどデカルトは自身の所有するマイホームを捨てるつもりは無かった。
砂を払って必死に生活できる環境を整えようとした。
それでも砂漠で一人藻掻いたところで、どうにもなるわけがない。
人がいなくなれば商店が撤退する。
人がいなくなれば、そこに誰も意識を向けなくなる。
砂漠の砂では家庭菜園すらできず、電気ガス水道といったライフラインが止まったことで、デカルトの家はただの棺桶になってしまった。
苦渋の決断の末、彼はアビドスを出る決意をしたのだった。
「覚えててくれて嬉しいよ~。良かったらアビドスを出てからのデカルトさんのことを聞かせてよ」
「あまり聞いてて楽しいものではないですが……」
ホシノに促され、デカルトは口を開く。
その後のデカルトは、社会に置いて行かれた現実を、遅まきながら味わうこととなる。
アビドスを離れたデカルトだったが、現在の有様からして順風満帆とはいかなかった。
そもそも元アビドス住民はデカルトだけではない。
アビドスは砂漠を擁するほど広大で、住人も大勢いた。
そんな数多くの人間がアビドスから一斉に避難し、大挙して押し寄せる難民となったのだ。
今こうして問題がないのは、連邦生徒会長が大鉈を振るって各自治区で受け入れ態勢を整えた結果、大きな混乱に至らなかったからに過ぎない。
そしてそのセーフティーネットは、当初の混乱を防ぐためのものだった。
一人二人の移動に目くじらを立てるものではない以上、ギリギリまでマイホームにしがみ付いていたデカルトには当然適用されず、財産を失い放り出された男が残るだけだった。
人が多いということは、それだけ普通の人間がありつける仕事も無いということだ。
あるのは労働基準法など守っていないブラックな業界だけだった。
「あの時は悲惨でした。プリンすらまともに買えなかったのですから……でもある時、天啓が降りてきたのです」
薄給で働かされてボロボロになっていたデカルトだったが、空腹で倒れて路地裏で転がっていた時に見つけて、気づいてしまった。
コンビニの廃棄弁当なら、金を払わずに腹いっぱい食える、と。
業務用の大きなゴミ箱に入れられたそれをかすめ取り、無我夢中で食べた。
焼肉弁当の味はデカルトに久しぶりの満足感を与え、そして彼に決断させた。
――働きたくない。廃棄弁当さえあれば生きていけるじゃないか――
そうしてデカルトは、働きもせずに日々廃棄弁当を漁るホームレスになった。
普通の感覚なら美味しい食事のために働くことに意欲を見出すかもしれないが、廃棄弁当で満足してしまったことで働かなくてもまた食べられるという低い目標となってしまった。
きっぱりと働かなくなったデカルトにとって時間は余っているものであり、どこのコンビニの廃棄弁当が一番美味しいか、などと品評できるまでになった。
他者の欲しいという願いから零れ落ちた廃棄弁当。
所有に執着することでの苦しみから逃れられたのが、この弁当だったのだ。
そう考えれば心が軽くなり、誰も所有しないものにこそ確かな幸せがあるのだとデカルトは気付いたのだ。
廃棄品にたかる蠅と変わらぬ行いであろうと、今のデカルトには救いであった。
そんな彼の思想は同じように困窮していた者たちに伝染病のように進行し、所確幸は徐々に数を増やしていった。
「このまま街中の廃棄弁当を我らの物に! と意気込んだものの……」
そこにRABBIT小隊が現れた。
彼女たちは一番美味しいエンジェル24の廃棄弁当を独占し、デカルトたちには渡さなかった。
断固として許すことはできず戦ったものの、力及ばず仲間たちは散り散りとなり今に至る。
「大変だったねぇ」
「そう言っていただけると私も嬉しいですね」
ホシノが聞き上手であったという事もあるだろうが、年若い少女が自身に興味を持ってくれるという事に、何ともこそばゆい優越感を覚えていたデカルトだった。
「懐かしいですね……アビドスに帰りたいと何度思ったことか」
「うんうん、こうしてアビドスを離れてもまだ想ってくれる人がいるなんて、おじさんは感動したよ~。ね、ハナコちゃん?」
「そうですね♡ 故郷を愛してくださっているのが伝わります♡」
ホシノの問いかけに、傍らにいたハナコも満足げに頷いた。
「そんなアビドスを愛している、良いおじさんのデカルトさんに渡したいものがあるんだ~。はいこれ」
「む? これは……飴玉?」
ホシノがポンと手渡してきたのは、何の変哲もない飴玉だった。
訝し気にホシノを見返すが、ホシノは食べるジェスチャーをして促すばかり。
「? ……むおおおおおっ! な、なんだこの美味さは!?」
口に入れた途端に広がる甘味と旨味。
廃棄弁当すらどうでも良くなるほどの感動がデカルトに広がる。
「それはね、アビドスで作った特別な砂糖を使ってるんだ~」
「さ、砂糖? そんな上質な砂糖がアビドスで?」
「そうそう。実は今度、それを使った特産品を作ろうって企画しててね。まだ飴玉だけだけど、これから色々増やしていくつもり」
「なるほど……これだけ美味しいのなら頷けます。でもどうして私に?」
「広めるにはやっぱり広告が必要でしょ? テスターを探しているの」
確かにどれだけ美味くても、知らなければ買うことなど無いだろう。
小人数しかいないアビドスでは、メディアに載せる広告費用すら捻出できないから、こうしてデカルトに頼って来たというわけだ。
それを聞いて、デカルトの脳裏に電流が走る。
「これがアビドス復興の第一歩なんだ~」
「……さっきテスターを探していると言っていましたね。よろしければ私に預けてもらえますか?」
「ん?」
「実は私、『所有せずとも確かな幸せを探す集い』略して『所確幸』のリーダーもやっていまして、一声かければ集まって来る仲間はたくさんいます」
「なるほど! 代わりに広めてくれるってこと?」
「はい。アビドスを復興させたいという想いは私も共感しています」
「うんうん、そう言ってくれると、おじさん嬉しいよ~。じゃあはい、コレ」
デカルトの言葉に感動したのか、ホシノはデカルトにどっさりと大きな袋を渡す。
袋の端を開けてみれば、甘い香りが広がった。
どうやら先ほどの飴玉がぎっしりと入っているらしい。
「デカルトさんはいいおじさんだからね。任せるよ~」
「ありがとうございます。では私はこれで……」
袋を受け取ったデカルトは、踵を返してそそくさとその場を後にするのだった。
そんな彼を見送って、姿が見えなくなったところで、傍らに控えていたハナコがホシノに尋ねた。
「これでいいんですか?」
「いいんだよ、これで」
貼り付けたような笑みを浮かべながら、ホシノは答えた。
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飴玉の袋を抱えながら、デカルトは笑いを抑えるのに必死だった。
「バカな子供は扱いやすくて良いですね」
これだけの上質な砂糖を使った飴玉だ。
いくらでも金を積む人間はいるだろうし、仲間内で広めたら王様のように振る舞うこともできる。
自分の巧みな弁舌により、ホシノから大量にいただくことができたのは僥倖というものだ。
おそらくホシノというあの少女は、金勘定が得意ではないのだろう。
アビドスを救いたいという正義感に酔っているため現実が見えていない。
だからそんな隙を突かれることとなった。
「今更アビドスなんかに戻ってどうするというのですか。これだから世間知らずの子供は……」
確かにデカルトはアビドスに未練がないわけではない。
でもたとえ戻れたとしても、また働かなくてはいけないなら戻りたくはない。
子どものわがままになんて長々付き合ってはいられないのだし、適度に甘い蜜を吸わせてもらってあとは捨て置けばいいのだ。
「フフフ、これだけ美味なら酒とも合うでしょう。どれが一番合うか、秘蔵のやつを開けてみますか」
もはやホシノたちの姿は見えない。
他人にくれてやるなど勿体ない。
デカルトは全て自分で消費するつもりだった。
笑みを隠すこともなく上機嫌で歩いていたデカルトだったが、その行く手を阻む者が現れた。
「なあおっさん、随分と機嫌良さそうじゃないか?」
「ひょ?」
「甘い匂いだ……スイーツだ!」
デカルトの持つ袋から漂う甘い香りに誘われて、少女たちが道を塞ぐ。
難しい漢字が刺繍された改造特攻服を着た少女たち。
その手に思い思いの銃が握られているのを見て、デカルトの血の気が引く。
「な、なんですかあなたたち。私を『所確幸』のリーダーと知っての狼藉ですか!?」
「ああ? なんだそれ、そんなの知るかよ」
「アタシらが用があんのは、おっさんの持ってるソレだよ」
「甘い物なんて最近随分と食べてない。花の女子高生としては健全じゃねえよな」
「おっさんは血糖値を気にするべきだろ。処分に協力してやるからさ」
「そんなに甘い匂いを漂わせておいて、襲ってくださいと言っているようなもんだよね」
群がる蟻のように寄って来た少女たちによって取り囲まれる。
ようやくカツアゲされていると自覚したデカルトだったが、所確幸としての権威など彼女たちには通じない。
「ほら寄越せ!」
「やめ、やめろーっ!」
声を上げるデカルトだが、甘いものへの執着に取り付かれた少女たちには敵わず、袋を奪われる。
「鬼! 悪魔! 大人をバカにするのもいい加減にしろ!」
「ああうるせぇな! 黙ってろ!」
「チッ何だよ飴玉しか入ってねぇじゃねえか。しけてやがる」
「見るからにホームレスのおっさんがケーキなんて持ってるわけねぇか」
「望んだ奴じゃないなら返してください!」
「いや要らねぇなんて言ってないだろ」
袋の中身を見て肩を落とす少女たちにデカルトは返せと喚くが、それで素直に返してくれるはずもなく、飴玉は全てデカルトの手元を離れたのだった。
「!? 何だこれうめぇ!」
「甘い……こんなに甘くて美味い飴玉が有っていいのか……?」
「有名パティスリーのスイーツにも引けを取らないぞ!」
「ああ、私の飴が……今夜の酒の肴が……」
口に含んだ途端に目の色を変えて、次々に美味い美味いと食べる少女たち。
噛み砕いてでもすぐに次の飴玉を欲して嚥下していく彼女たちの姿に、デカルトはもう帰ってこないのだと肩を落とす。
そんなデカルトの眉間に、銃口が突き刺さる。
「まだ持ってるんじゃねえのか? ジャンプしてみろよ」
「ヒィーッ! 何でこんなことを……私が何をしたって言うんだ!」
「世間知らずのおっさんに社会の厳しさを教えてやるよ、弱肉強食だオラァーッ!」
銃で眉間をどつかれて悲鳴を上げるデカルトだったが、ジャンプしても飴も金も出て来ず、しけてやがるとスケバンの少女はため息をついた。
「おいおっさん、これどこで手に入れた?」
「え? えっとそれは……」
「言わねえなら撃つ」
「ひっ! アビドスです。アビドスの学生が新しく作ってるって言ってました!」
銃口に指が掛かったのを至近距離で見て、即座にデカルトは白状した。
「アビドスか。ありがとよおっさん」
一言言って、少女は銃を撃った。
ゼロ距離で撃たれてデカルトは抵抗することもなく倒れる。
「ひ、酷い……ちゃんと言ったのに」
「『言わないなら撃つ』とは言ったが『言ったら撃たない』なんて言ってないだろ」
「き、詭弁だ……がくっ」
一言だけ漏らして気を失うデカルト。
そんな彼を目もくれず、少女たちはキャンディーパーティーを楽しんでいた。
満足げに微睡む少女たちだったが、半分近くまで減った袋を見て、現状を理解した。
「勢いで結構食っちまったな」
「アビドスに行きゃまた手に入るんだろ。なら遠慮するこたねぇ」
「そうだな……よし、無くなったら行くか、アビドス」
誰が言い出したか定かではないが、アビドスに行けばまた食べられると判断して、少女たちはアビドスを目指す
反対する意見の者など居らず、ゾロゾロと列を成して導かれていく。
当然の成り行きだろう。
至高の快楽に抗える人間など、この世にほとんどいないのだから。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「いやぁ、さすがにあんなに『都合のいいおじさん』がいるとは思わなかったよ~」
「そうですね♡ あんな目をしていて気付かないと、本気で思っていたんでしょうか♡」
こちらを騙し、上前を撥ねて良い所だけを持っていこうとする、悪い大人の目だ。
俗と欲に塗れている悪意だったが、黒服やカイザーを知るホシノからすれば善良も良い所だ。
とはいえ騙そうとしてきた大人である以上、騙されたところで良心の呵責は覚えない。
デカルトは最初に砂糖を広めるには打ってつけの人材だった。
「おじさんたちの目的は、最初からスケバンの子たちだったんだよね」
「スケバンでも女の子、なら大好きなスイーツの話なら情報の拡散は早い、でしたね♡」
「そうそう。今はまだ元手も人手もないからね、こうして勝手に拡散してくれる人に渡すのが手っ取り早いんだ。良いカモになってくれたよ」
スケバンたちもこちらからはいどーぞ、と渡されたものを素直に食べるはずがない。
何が入っているか分かったものではないからだ。
ブラックマーケットで生きるということは、そういうことだ。
「その点、食べていたものを奪い取った形なら、それを疑うことなんてしない」
「施しではなく勝ち取ったものだから、ですか。なるほど、勉強になります♡」
ホシノのレクチャーにハナコは人の心理を学んでいた。
頭脳は間違いなくハナコの方が回るだろうが、机上の空論ではないこうした現実の人間の心理についてはホシノに一日の長があった。
これをきっかけに、ジワジワと砂糖は広がっていくだろう。
砂糖の魅力に取り憑かれた少女たちの姿は、人目に付くだろうから。
「カイザーみたいな言い方であまり嬉しくないけど、より広げるためにも集まって来た子たちを相手に、まずは職業訓練だね。少なくとも砂糖抜きでもなんとかできるくらいの外面を整えられないと商売なんてできないし。そこはお願いしていい?」
「はい♡ 再教育頑張ります♡」
かつてアビドスをカイザーの職業訓練校にされかかったことすら利用して、ホシノは次の計画を立てていく。
まだまだやることは山積みだ。
「そうだハナコちゃん、たしかカタコンベの地図、覚えてるんだったよね?」
「はい♡」
「なら行っちゃおうか、アリウス。ブラックマーケット以外でも、連邦生徒会や自治区の目が行き届かない場所から攻めよう」
「楽しくなってきましたね♡」
幸先の良いスタートを切ったホシノとハナコは、こうして砂糖の布教を始めるのだった。